騎手

G1勝利騎手を【武豊 / 地方競馬出身 / 外国人 / その他】で色分けしてみた

時代ごとの騎手(ジョッキー)の趨勢がひと目でわかるように、属性別の色分け表を作成しました。近年のG1では外国人騎手の活躍が目立ちますが、色の違いでどれだけ顕著かわかると思います。

G1勝利騎手の色分け表

グレード制が導入された1986年を最上段としてます。一行が1年で、最下段が2020年です。左から日付順でG1結果を並べています。2020年であれば左端がフェブラリーS、右端が有馬記念の結果。

1着になった騎手を以下のルールで色分け

  • 武豊(青)
  • 地方出身(緑)
  • 外国人(赤)
  • その他のJRA所属の騎手(着色なし)

各カテゴリの簡単な解説

武豊騎手

競馬界のレジェンドジョッキー。歴代最多勝利騎手につき、単独で取り上げました。

デビューは1987年。はじめてのG1タイトルは2年目のスパークリークで制した菊花賞。以降、2010年まで23年連続でJRAのG1競走を優勝しています。40代以降ペースは鈍りますが、50代になった今でも一線級で活躍しています。

武豊がこれだけG1を勝つことができたのには時代的背景もありました。

今日ではトップジョッキーに騎乗依頼が多数寄せられるのは当然のことですが、以前はそうではありませんでした。騎手は厩舎に所属し、所属厩舎の馬に優先して騎乗しなければならない状況でした。

1984年に岡部幸雄がフリーランス騎手となり、特定の厩舎に所属せず、多くの厩舎から騎乗依頼を得るようになっていきます。それ以後、トップ騎手がフリーランスとなる流れができていきます。

地方出身騎手

1995年に地方競馬との交流が拡大。地方騎手も条件付きながら、地方在籍のまま中央のG1への騎乗が可能となります。その年の桜花賞には、早くも笠松所属の安藤勝己ライデンリーダーが挑戦(1番人気4着)。

2002年に騎手免許試験のルールが一部変更となり、これを機に地方騎手の中央への移籍が活発となります。先駆者である安藤勝己は2003年にJRAに移籍。そして、移籍わずか30日後の高松宮記念(ビリーヴ)を制し、初G1制覇を成し遂げました。

岩田康誠内田博幸と地方のトップ騎手の移籍が続き、2000年代半ばからは騎手リーディングの上位に複数名が名を連ねるようになります。G1でも「勝てる騎手」として信頼を築いていきました。

地方から才能の供給が続くと思われましたが、近年は話題を呼ぶような移籍もなく、少し下火傾向です。

地方所属で中央のG1を制した騎手

これまで地方所属のまま中央のG1を制したのは4人。兵庫県競馬の岩田康誠、大井所属の内田博幸戸崎圭太は、いずれも中央馬に騎乗しました。あとひとりは岩手競馬の菅原勲。岩手所属のメイセイオペラで1999年のフェブラリーSを制しています。

外国人騎手

1994年に短期免許制度が導入され、外国人騎手に一定期間騎乗の機会が与えられます。それまではジャパンCやワールドスーパージョッキーシリーズなどでしか外国人騎手をみることはありませんでした。

短期免許第1号は意外にもニュージーランドの女性騎手リサ・クロップです。はじめて日本のG1ジョッキーとなったのは、1998年の朝日杯3歳Sでアドマイヤコジーンに騎乗したマイケル・ロバーツ

2000年代初頭はオリビエ・ペリエが毎年来日し、G1でも数々の好成績を収めます。2003年にはミルコ・デムーロが外国人騎手としてはじめてダービーを制しました。

短期免許で来日が認められる騎手は各国のリーディング上位に限られています。G1シーズンに腕の確かな助っ人が来日する光景は、ここ20年変わりはありません。

外国人騎手のJRA移籍

2014年度の騎手免許試験から外国人騎手に対して通年免許の発行が認められます。受験者第1号となったミルコ・デムーロは2013年の試験は不合格。

2015年にミルコ・デムーロクリストフ・ルメールが合格し、騎手免許が交付されます。はじめての外国人騎手の誕生です。その後のふたりの活躍は目覚ましく、日本人騎手を圧倒しています。

日本への移籍を希望する外国人騎手は多いですが、日本語の習得がネックとなり、まだふたりに続く合格者は現れていません。

その他のJRA所属騎手

JRA所属騎手の大多数は、競馬学校騎手過程の出身です。1985年に卒業した1期生には柴田善臣石橋守らがいます。

多くのG1ジョッキーが誕生しましたが、近年の卒業生は振るいません。選抜された地方出身、外国出身騎手らとの競争はシビアなものですが、逆境を跳ねのける新星の誕生を待ち望んでいます。