現在の日本は、年間約8,000頭の「純血サラブレッド」が誕生する世界有数の馬産王国です。しかし、戦前に目を向けると、その数字の内訳は今とは全く異なるものでした。
今回は、そもそも日本に存在しなかったサラブレッドが、どのように「純血」の血を守り、数を増やしていったのかを解説します。
「輸入」から始まった挑戦
明治初期、日本にサラブレッドという馬種は存在しませんでした。日本の馬産は、イギリスやフランスから「すべて輸入された馬」を種馬にすることから始まったのです。
初期の生産は、文字通り「数頭の輸入馬」からスタートしたゼロからの挑戦でした。
「純血サラブレッド」は年間数百頭の超エリート
戦前(1930年代)のピーク時、軽種馬全体の生産頭数は年間1,000頭〜2,000頭ほどに達していましたが、その中で「純血サラブレッド」として登録されたのは年間わずか400頭〜600頭前後に過ぎませんでした。
- 当時の純血種:約400〜600頭(現在の15分の1以下)
- 現在の純血種:約8,100頭
なぜこれほど少なかったかというと、当時は純血を守ることよりも、軍馬として活用するために、サラブレッドに他の品種を掛け合わせた「サラブレッド系種(サラ系)」を量産することに主眼が置かれていたからです。
競馬場を走っていた馬たちの正体
実際の競馬で走っていた頭数も、今とは規模が違います。
当時の公認競馬(現在のJRAの前身)で走っていたのは、年間でおよそ2,000頭〜3,000頭ほど。しかし、その多くは「サラ系」や「アラブ系」の馬たちでした。
日本ダービー(1932年創設)などの限られた最高峰のレースのみが、希少な「純血サラブレッド」たちの独壇場でした。多くのファンが目にする一般のレースでは、純血ではない混血馬たちが主流だったのです。
希少な「血」を繋いだ執念
明治末期に輸入されたわずかな牝馬(小岩井農場の輸入馬など)を起点に、大正、昭和と時間をかけて、少しずつ「国産の純血サラブレッド」の頭数は積み上げられていきました。
1930年代後半にようやく「純血種で年間500頭前後」という規模まで拡大しましたが、その後の戦争でその多くが失われることになります。
まとめ
現在、当たり前のように年間8,000頭の純血種が生まれる背景には、戦前の「年間わずか数百頭」という極めて希少な血統を、軍事利用や戦火という荒波の中で守り抜いた先人たちの執念があります。
「輸入」から始まり、血統を薄めず、少しずつ数を増やしてきた100年以上の歩み。その重みを知ると、今の競馬の景色も少し違って見えてくるのではないでしょうか。